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2024年3月に開催された横浜フランス映画祭。
そこで上演された『コンセント/同意』の記事を読んでぎょっとした方は多いのではないでしょうか。
この映画は同名のノンフィクションを原作とした問題作で、ヒロインは14歳の少女。
36歳も年上の有名作家と恋に落ち、終焉を迎え、自分の人生を取り戻すまでを赤裸々に告白した自伝的作品です。
しかも、作品紹介の記事には彼らの関係が公然の秘密で、世間は作家をとがめなかったと書いてあるのですから驚きは倍増。
頭の中に疑問符が浮かんだたくさんの方々が、「フランス」の風潮に自国との隔たりを感じたのではないでしょうか?
かく言う管理人もフランス、どうなっているの?と考え、ニュースのコメント欄を見てみました。
すると事情通が「現在、問題の作家は出版物が絶版扱い、少女に対する不適切な行為に対して時代を超えて訴追されている」とフランスの現状を伝えていました。
肝心の映画は2024年の夏に公開(多分、単館上映)。
内容に興味を持って原作を探した人もいるはずです。
とはいえ、単行本が高い日本。
知らない著者の本を即座に購入したい人は少ないと思われます。
しかも、執筆者が有名な作家ではないとなるとなおさらです。
そこで今回はヴァネッサ・スプリンゴラの『同意』を紹介したいと思います。
『同意』の舞台 1980年代のフランス
今の若い方には実感がわかないかもしれませんが、昔は「恋愛小説」「恋愛映画」といえばフランスの独壇場でした。
心理主義小説が好きな人であればフランスの古典的作品を網羅するのが当たり前。
1990年代、「セクハラ」なる言葉がアメリカや日本で知名度を上げていましたが、フランスは「男女の駆け引き、緊張関係をそんな言葉で片付けたくない」(うろ覚えです、すみません)なんて超然としていたものです。
人生における「恋愛」「濃密な人間関係」「自由」の比重が大きい国、それがフランス。
一時期、インテリたちのアイドルだったサルトルとその妻ボーヴォワールにも10代の愛人がいて奇妙な三角関係を形成していました。
こうした時代背景をふまえて、本書を読むと当時のフランスを支配していた雰囲気について理解が深まります。
著者のヴァネッサ・スプリンゴラは1972年生まれ。
五月革命の薫陶を受けた母親に育てられた彼女は幼少時代から恋愛にあこがれ、読書三昧の日々を送ります。
「禁止は禁止」、自由は尊いという風潮。
美男美女カップルだったヴァネッサの両親は早くに離婚。
母親と暮らすことになったヴァネッサは、父親の不在が原因で年上の男性に強い憧憬の念を持つ少女へと成長します。
美しいシングルマザーの母には絶え間なくボーイフレンドが現れ、ヴァネッサの人生を通り過ぎます。
こんな環境ですから、彼女が同じ年頃の子供より早熟であっても不思議はありません。
母親が出版社に勤めていたことから、あるパーティーでG(作中の記述。実際はガブリエル・マツエフ)と出会います。
『同意』で描かれたGとの出会い
Gと出会ったとき、彼女は 13歳。
中学校にあがったばかりでした。
背が高く痩せぎすで、同年代の男の子からはあまり人気がなかった、とヴァネッサはやや自虐的に当時を振り返っています。
美人の友人たちが青春を謳歌する中、所在ない日々を送っていました。
作家と編集者が集まるホームパーティーで、ヴァネッサはガブリエルと出会います。
母親から強引に大人ばかりの集まりに連れていかれて、ふてくされていたヴァネッサ。
手持ち無沙汰をまぎらわせるために本を読んでいました。
そんなヴァネッサをGは一目で気に入り、パーティーの間中、熱い視線を送ります。
恋愛経験が0、年上の男性から関心を向けられることに飢えていたヴァネッサは有頂天。
しかも、相手は当代を代表する小説家の一人です。
彼の著作は、発行部数こそ少ないですが、テレビに出演していること、スキンヘッドで年齢不詳、ハンサムな男性だったことから世間で注目されていました。
その日から絶え間なく送られてくるラヴレター、自作の詩、大げさな誉め言葉にほだされた彼女は、つい、二人きりで会うことを承知してしまいます。
そして大人の男性による巧みな誘導で、ヴァネッサは早々に肉体関係を持ってしまったのでした。
『同意』そして関係の後に待ち受けていたもの
それが、悲劇の幕開けで後年、悔やむことになるのを彼女はまだ知る由もありません。
ヴァネッサに求愛した際には、過去の自堕落な生活を懺悔したガブリエル。
ですが、それは純粋で世間知らずな少女の気を引くポーズに過ぎませんでした。
ヴァネッサの前にも後にも、10代の幼い恋人たち(少年少女)は絶えることはなく、ヴァネッサは嫉妬や焦燥に駆られます。
一定の年齢を過ぎたり、ガブリエルの自己中心的な性格、身勝手なふるまいに気づき、彼に批判的な言動をとったりすると簡単に捨てられてしまいます。
文句を言っても、相手は言葉を操るプロでモラハラ男なのですから、ヴァネッサに太刀打ちできなくても当然といえます。
14歳の若さで経験した肉体と精神に対する支配、別れた後も続く嫌がらせ、のプライバシー侵害や風評被害。
こうした四面楚歌な状況に、ペンをとって対抗するまでを抑えた筆致で、事細かに描いています。
ヴァネッサ・スプリンゴラ『同意』の感想
まず、フランスで出版された著作物としては非常に読みやすいです。(笑)
かつて『愛人(ラマン)』が一世を風靡したとき、マルグリット・デュラスの本を買ってきて途中で投げ出した人が多かったはず。
(映画公開前後、古本屋で新品同然の同書を数多く見かけたものです。)
このリーダビリティーの高さには理由があります。
著者、ヴァネッサは優秀な編集者。
文学少女であった過去、複雑な幼少期と思春期を送りながらも有名大学へ進学した根性と知性、不屈の精神力。
堅実な土台に支えられた確かな技術と率直さ。
そういったものがこの悲痛な書物に一種の明るさを与えています。
有名作家の作品に、一方的な視点から描かれ閉じ込められる恐怖。
ガブリエルの著書を読んだ読者から、「崇高な愛を裏切った愚かな少女」「教養ある年上の男性作家から教育されたにも関わらず、その貴重さを理解せずに逃げ出した少女」の烙印を捺される不快感。
ガブリエルは、その嗜虐的な性格からこうした「嫌がらせ」を執拗に続けます。
年若い愛人として、ガブリエルのファンサイトで個人的な写真が掲載されたり、コメントを求められたり。
過去は残酷なまでにヴァネッサを追いかけてきます。
対抗するためには、ヴァネッサ側から見た「真相」を書くしかない―。
そこまで追い詰められたヴァネッサの心中が痛ましいです。
(このあたりを想像できない人は、川端康成の『美しさと哀しみと』を読んでみることをお勧めします。
少女時代の愛人関係を小説に書かれ、苦労する女性とその女弟子による復習が描かれた川端康成らしい小説です。)
『同意』の基調低音は悔恨と怒り
この本を支えている基本は若さゆえの愚行に対する後悔。
そして、年長者への怒りです。
それはガブリエルに対してだけではなく、子供の恋愛問題に対する保護者の責任についての糾弾でもあります。
父親や母親、または継父やそれに近い関係の人々。
ヴァネッサは長じてから母親に、自分の若さゆえの過ちや暴走をどうして止めてくれなかったの?と詰め寄ります。
母親はいつも「あなたは周囲の娘たちより大人だった」「意思を尊重した」と逃げるだけ。
果たして、14歳の少女は大人なのか、子供なのか?
過渡期にある微妙な年齢の少女が発した「同意」は有効なのか?
なかなか考えさせられる内容でした。
ちなみに6章からなる本書の2章「餌食」には次のエピグラフが掲げられています。
同意―論理的分野:自由意志によって、物事を全面的に受け入れ履行することを約束する行為。
法律分野:未成年者の父母あるいは後見人によって与えられる婚姻の許可。
―『フランス語宝典』
このノンフィクションの舞台となった1980年代、フランスの婚姻可能年齢は女子15歳、日本では女子16歳でした。
14、15歳を「大人」と捉えるか、「子供」と考えるか。
難しい問題ですね。
管理人は個人的に、結婚可能な年齢が18歳に引き上げられたのは良かったのでは?と思っています。
『同意』とウラジミール・ナボコフ『ロリータ』
個人的に、興味深かったのは著者ヴァネッサ・スプリンゴラの『ロリータ』に対する感想。
ウラジミール・ナボコフの執筆理由についての考察は示唆的ですね。
私が驚いたのは『ロリータ』のヒロイン ロー(本名はドロレス・ヘイズ)に対するヴァネッサの感想です。
「自覚なしに背徳的な行動をとったり、遊びで誘惑したり、まるで駆け出しの女優のように媚びを売ったのがロリータの方にもかかわらず」
ヴァネッサ・スプリンゴラ『同意』
作中のドロレスはハンバートと出会ったときまだ12歳。
日本でいえば小学生。
アイスクリームサンデーやベーコンが大好きでハリウッドスターにあこがれる女の子だったんですけど?
しかも、ドロレスもヴァネッサと同じく母子家庭育ちで、父親的存在に飢えていた設定なんですけど?
ドロレスもヴァネッサと同様、母親が自分自身の恋愛にばかり興味を持ち、娘に対する関心が希薄だったんですけど?
ヴァネッサの内省が強すぎて、架空の人物に対しても厳しい目で見てしまうのは考えさせられました。
つらい内容ですが、救われるのはヴァネッサの強さ。
フランス人女性は本当に強いですね。
前述したサルトルとボーヴォワールの恋人、ビアンカ・ランブランにしても身勝手な大人の欲望にふりまわされた過去があっても自分の人生を生きているところが称賛に値します。